カウルやスクリーン、ミラーなど、外装パーツの変更もカスタムの王道だ。今回はカーボン外装パーツを主力とするマジカルレーシングを取材。同社のモノ作りにかける想いを紐解いてみる。
外装パーツの可能性を試行錯誤で切り開く
マジカルレーシングは1973年4月、代表の蛭田 貢氏によって産声を上げた。創業から5年後の1978年には会社法人となっている。創業当初はスクーター用の外装パーツといった大手パーツメーカーのOEM製品が業務の中核だったというが、社名と同名のレーシングチームも持っていて、レースで使用するカウル類は自社で生産していた。
10代のころからバイクレースに打ち込んでいたという創業者の蛭田氏が外装パーツの生産を始めたのは、意外な理由からだった。
「私は24歳くらいでレースを辞めて、それからサーフィンを始めたのですが、やがてFRPを使って板を作るようになったんです。あるとき、レース仲間でヤマモトレーシング代表の山本さんに、当時乗っていたフォーミュラーカー用のボディをFRPで作ってほしいと依頼され、フロントノーズを作ったんです。この経験がキッカケでバイク用外装をFRPで作ろうと思うようになり、レース仲間のバイクのカウルを作り始めたんです」
このように語る蛭田氏。同社は1981年に初の自社ブランド製品としてRZ250用のビキニカウルやアンダーカウル、テールカウル、フロントフェンダーをリリース。折しもレプリカブームの黎明期ということで製品の売り上げは好調で、以降多様な車種の外装パーツを次々とリリースしていった。バリエーションを増やすだけではなく、製品のクオリティも同時に追求し、同社の名前は二輪アフターマーケットにおいて存在感を増していった。
カーボンの可能性を追求して多彩な製品群を製作
だが、やがて同社以外にもさまざまなメーカーがFRP外装の生産を始めるようになると、会社のさらなる成長のためには、他社との差別化が求められるようになった。
「部品を作るにしても、デザインをカッコよくしたかったし、軽くもしたかった。それでカーボンという素材に注目したんです」
マジカルレーシングがカーボンに着目した1980年代の半ばころは、カーボンは今ほど一般的ではなく、素材のカーボンシートも非常に高価だった。だが蛭田氏はカーボンの可能性を信じて試行錯誤する。
「1986年に作ったヤマハ・TZ用のカーボンカウルが当社最初のカーボン外装でした。そのころにはカーボンのサブフレームとタンクを使ったTT-F3マシンを作ったこともあります。タンクをエンジンの下に搭載してマフラーを上に回したんですが、このマシンは残念ながら結果を残せませんでした」
カーボン製品の製法の確立には相当の時間とコストが強いられたが、他社に先んじてカーボンを採用したことで、同社は品質だけではなく、先進性においても名前を挙げることになった。
1990年代の半ばには満を持してストリート用外装パーツにもカーボン素材を採用。FRP製品と比べて高価だったため、販売当初は苦戦を強いられるが、カーボンの高い強度と軽さ、そして独特の質感はカスタムファンに徐々に浸透。今ではバイクのカスタムにとって、カーボンは欠かせない素材となった。そのうえで、同社のカウル類はバイクそのもののスタイルを最大限踏襲しつつオリジナリティも追求している。カウルやスクリーンをはじめ、各種カバー類など製品ラインナップは豊富で、同じカーボンでも綾織と平織を用意する。
スクリーン
メーターカバー
エンジンカバー
タンクカバー
アンダーカウル
シートカウル
フェンダー(F)
フェンダー(R)
同社の多彩な製品のデザインは『なぜユーザーがそのモデルを選んだのか』ということを重視し、バイクが持つコンセプトを踏襲したものとなっている。だが同じ形状で作るというわけではなく、そのコンセプトをさらに発展させるデザインを標ぼうしている。同時に飛び石などから車体を守るような構造を取り入れるなど、デザインにプラスアルファの要素をも追加している。そして製品のクオリティを上げるだけではなく、アフターサービス体制やユーザー対応なども拡充するなど、ユーザーに寄り添う姿勢も取り続ける。その姿勢について、同社取締役の大西雄一郎氏は次のように語る。
「カーボン製品は織目のヨレやエアの混入などが発生しやすいのですが、そういったことを避けるために高いレベルのスキルを維持しつつ、製品チェックも徹底しております。また、弊社の人気商品のミラーはこれまでに何度もバージョンアップしていますが、すでに購入されたお客さまに対しては無償でバージョンアップしており、メンテナンスにも対応しています。自社の姿勢を押し付けるのではなく、つねにお客さまの視点に立ったモノ作りを続けていくことが、お客さまの満足につながると考えております」